ドラゴンの卵



先日、本科・色彩環講座【青の本質への接近】がありました。



青にもあり方、形態のようなものがあるだろうと、
どうあることが青らしいものを表現できるのかを探してゆくのですが、
私はこの仕事をしているので、幾度も幾度も青を触って描いてきました。

ある時は画用紙に収まりきらないほどに活動的で津波のような青を描き、
ある時は飲み込まれてゆくような渦巻きのような青を描きました。
月の下に集まってくる影のようなものを描いたこともありました。
それぞれに、その時の私の青なるものを映し出しているようで
不安になったり、笑えたり、もやもやしたり、とありました。
それでもいつの時も青以上に青を語ることも捉えることもできません。
だから余計に、私の内なる青については、追いかけることになるのかもしれません。

そして今回は、「ドラゴンの卵」でした。
暇にまかせて読んでくれたらかまわないですが、
これを描こうと思わずとも、青に身を任せると、
決定的なまでに正直にならされました。
描き終わるまでもなく、この卵はドラゴンをうむことを知っていました。
後々、世界を生み出した卵のようだ、とも思いました。

人間のように生まれてしばらく母に抱かれ、保護されている育つ状態ではなく、
卵で生まれてくるドラゴンは、殻を破ればいきなり社会です。
窮屈になってきた殻を破り、
養分だったはずの養液はもはや絡まれ呼吸を奪う粘液でしかなくなり、
濡れて閉じていた羽を、肩甲骨のあたりから思いっきり広げ、
未熟な炎を吐いてみたりします。
肩をならし、ごつごつとした自分の皮膚を感じ、
もうすぐに飛び立つ。
これがこの卵のドラゴンのイメージでした。
私が描いているものは青一色の卵でありながら、
私の心に思い描いているものは殻を破って過酷さへと向かってゆくドラゴンでした。
この青い卵は不思議の塊でもありました。
割ってしまえばただの殻になりますが、
割らない限りはこれが全宇宙であるというような。

青色には、他の色にない特徴があります。
癒しのイメージと恐いイメージ、
相反するようなイメージを持っていることです。

ぜひ機会があれば青の接近への授業を受けて見て、
この謎に接近してみてください。
受講生の感想文は次の機会に一部掲載させていただきます。